シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



見学簿-10F様①


10F様のご見学の様子を3回に分けて配信いたします。




100年前の家のリフォームを考えています。

先生       雑誌は何をご覧になりましたか?

ご主人    これです。(チルチンびと20096月別冊 地域版)

先生       ありがとうございます。どんなところを気に入られたのですか?

ご主人    風が通る、というところですね。実はちょっと早めに来たので、この辺うろうろしていましたが、この土地は風が通りますね。

先生       海と六甲山が近いので、山風海風があります。ここ23日は秋風の感じですね。関西でも少し内陸になると違うかもしれませんが、関西という括りでそう変わらないところが多いでしょう。

ご主人    実はリフォームを考えていまして。古い家で、骨組みは100年近くて、40年前に土間をつくり変えたんですが、それから40年間手入れせずに地震のときに応急処置だけしたという感じです。父がいる時から家をさわらなあかんとは思うてまして、最近は雨漏りもあって、そろそろ何とかせないかんと。知り合いの建築士の方がいまして、その人となんとなくプランのやりとりを始めたものの、デザインした図面を見ても、何か、こう、腑に落ちない・・・というか。これでお願いします!と言って始めているわけでもなく、壁量が足りないとか、基礎が玉石に乗ってるだけとか、そういうことを言われると、あれはあかん、これはあかんとか自分で考えてしまっています。出来あがったプランを見ると、これいけたんか!ってなったり。なんというか・・・。

先生       お互いに不安材料があって、仕事なのか、その一歩手前かという状況かもしれません。仕事をする方も、やりましょう!と自分からは言えない場合ありますよね。お互いに遠慮しあっている状態。私も若いころは、最初から仕事ですと、一方的にはなかなか言えなかったです。どうにかしていい案を出して認めてもらおうという気持ちもありましたから。

              100年前のものというと、それはすごく尊敬に値する家です。私にとっての先生みたいなものです。伝統建築は教えてくれる人がいません。いるとすれば棟梁ですが、彼らも教えてくれるわけではない。目で見て盗む、体で馴染んで覚える。そういう家なら、私も何かインスピレーションをいただいて、受け継ぎ方を考えたいと思います。

              玉石に乗っているとか、壁量の計算とかは、建築基準法の世界です。基準法の世界と、日本文化の世界、それぞれ違いますから。別次元のあいだをさ迷っているとどこにもいけません。両者融合の世界があっても、見出すのは大変な時代です。
100年と言ったら、昭和初期ですか、農家ですかね。

ご主人    ええ、そうです。

先生       私の両親の家は大正14年上棟の家で、近代和風のガラスの家でした。震災でも2~300枚の瓦を変えただけで済みました。震災直後、建築家同士で倒壊建物調査隊というボランティアグループができましたが、ほとんど壊れたものしか注目しませんでした。なぜ倒れたか、壁がなかった、配置のバランスがわるかった、筋違いが外れたからという結論だけで今に至っています。倒れず残ったものは何故か注目していないですから。

ご主人    瓦も、重いのと軽いのとありますね。最近は。

先生       関西は台風があるから重たい瓦なんです。私は震災以降、瓦支持者になりましたから、瓦で軸組をしめる。重くて、分厚くて、太い、こういう価値観が日本のお寺、神社に残っています。一度、昭和30年以降の住宅をリフォームしたことがありますが、あれは散々でした。壁をめくると、もう、見えなきゃいいと思ってつくっている。でも、100年の住宅だと話はちがいますね。つくり変えるにしても現代の生活に対応できる民家にできるのではと思います。私はいつも伝統的な民家を受け継いで家をつくりたいと思ってやっています。ただ、リフォームだと一からできませんから。今までメインでやってきませんでしたが、やっていることの基本は同じなんです。でも、こういう良いお話をいただくとむずむずとはします。
              隣のアトリエがいわば古民家再生ですね。小屋組みだけ残して、あとは全部変えています。駐車場のところが、昔は風呂焚き場で、当時の太鼓梁が残っています。

ご主人    家の材にも、ひとつひとつに歴史を感じるというか、ある時、絨毯屋さんが来て、梁を見て、あれも取り替えなあかんなあ、とか言ってるのを聞くと、生まれた頃から見てきた梁も外ずさなあかんのんか?!と。捨てるのはなあ、と思ってしまう。

先生       日本の建築も今は合理主義優先ですから、最低限の柱に部分的な桁の高さで良しとする。私なんか、壁であろうが開口であろうが、一本通った桁があったらかっこいいと思います。無駄とかいう話でなく、出来上がりをみても全然違う。検査に合格すればいいと思って建ったものは、見てもやっぱり何かが違う。毎日ふれるものだから、私も毎日、梁にありがとうと思ったり、特に貫とクサビには毎日感謝していますよ。

(アヤ乱入。うろうろしてテーブルの上に落ち着く。)

先生       動物は飼っていらっしゃいますか?

ご主人    ええ、犬を。


につづく。次回、いよいよご見学。)