シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



講義録-第1回100930



大学で「積算・施工」の講義しています。
どなた様にも参考になればと思い、講義録をここに公開します。


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こんにちは。今回施工・積算の講義を担当する市居と申します。よろしくお願いします。実は私は10年ほど前まで、まだここが短期大学だったときに、講師をしていました。そのときの科目は、住宅設備といって、設備設計の先生がここの講義は芸術系なので技術屋の自分では手に負えないところがあるので、半期だけでも交代してくれないかということで、引き受けたんです。確かに芸術系の学生さんに、設備のこと教えるのは少々メインではないなと思いつつ、それなりに工夫してこなしたことを覚えています。10年以上続きましたか、短大が4大になってお役目ごめんとなったのですが、大学で教授をされている方とはその後も年賀状などのやりとりがあって、4,5年前に、何かお手伝いすることあったらいつでも・・などとメモ書きしたことがあったんです。それでかどうかは不明ですが、昨年の末その教授の方から電話をいただいたんです。来年の後期に講義受け持ってくれないかと。それで科目はというと、施工・積算だと言われたんです。1級建築士の資格を取得するため来年から必修科目として始めるものらしいんです。年賀状のこともあって快諾したんですが、前回が設備で今度は施工かと・・・。それに資格試験のために新設されたのですから、この学科の理念から設けられたものではなかったのでしょう。今年になってからも、どのように進めていくか随分考えましたし、今でも悩んでるという次第です。

ところで、久しぶりにキャンパスに戻ってきて感じるのですが、普段の仕事の様子と、教育の場の様子が随分違うなあと。私は以前はよく講演会の講師とかで人前で話していたことがあるのですが、最近は事務所と現場の往復で、内向きにしか話ししていません。ですからすこしはなし方がぎこちないのではないかと思いますが、仕事の流れの中では、個々の言葉なり知識が時間とともに繋がっていて、よくしゃべれるんですね。でも大学での講義は、学科別に別けて伝えるということが当たり前ですから、意識して言葉を選んで伝えなければいけない、具体的に言えば怒ったりぶっきらぼうではいけないですから、違和感があるわけです。皆さんの所属している学科は・・・建築学科?でなくて・・環境デザイン学科というんですか。学科という言葉、逆に読むと科学となるんです。並びが違うだけですから、同じような意味だと思ってかまわないでしょう。科学は英語でscienceといいます。これを文節で分けるとするとsci+encesciは「知」という意味で、enceはエントランスとかエヴィデンスとか名詞の接尾語ですね。ですからこれを直訳すると「知ること」「知学」とでもなるのでしょうが、明治時代の日本人は大変教養が身についていて、これを単に知るということではなく、科目ごとに学ぶこととした訳です。それが今の学科という言葉につながっています。大学はuniversityです。総合大学という意味ですが、総合大学では建築学科とか住居学科とか学科に分かれて勉強をします。日本では明治以降、近代化に伴って総合大学が生まれた背景があります。

近代化とは合理主義のことです。ものや行為を分析してその後統合するという考え方です。その細分化したひとつひとつ、今日なら建築という中の施工の話ですが、それらを細かく教えることは誰でもできる。だけど、そのひとつひとつを統合して建築という全体像を示すことができるのは誰なんでしょう?その役目を担っている方はいらっしゃいますか?結局自分自身にしか出来ないのではないでしょうか。それは何十年とかかるかもしれなませんが、是非それをやってほしいと願います。色々なことを学生の皆さんには経験して頂いて、その中から今までの知識を総合してほしいんです。

先ほど言いましたように、施工という科目を講義してくださいといわれました。さらに単なる知識や記憶力であれば1級建築士の受験がある直前に問題集や講習にでも取り組んで勉強すればいいのであって、この時点では学生さんが興味をもつような工夫をしてほしいとも言われました。しかしながら、芸術系の建築設計やデザインからするとメインではないということで、あまり面白くないこととされています。何か矛盾していませんか。施工の話はしなければなりません。興味を持つようなことも大事です。とすると、施工は面白いと言えればつじつまが合うわけです。どうしたら若い、しかも学生の身分の皆さんに施工は面白いなどという感覚がもてるんでしょう。今は無理です。多分、これからの人生で無理やり、あるいは追い詰められて初めて、施工ってこんなに面白いんだ、としかならないんだと思います。私が仕事として設計だけでなく、施工管理もしているのは、追い詰められてやらざるを得なくなって取り組んでいるのです。皆さんから見たら、面白いかどうかわかりませんが、日々設計も施工も分け隔てなく取り組んでいる男の生き様仕事振りを見ていただくしかないと思う次第です。私がお伝えしたいことは、そういった私自身のスピリットの話になるのではないかと思います。
今日はそういう私の精神の源となっているいくつかの文章、これは建築とは直接関係ありませんがとにかく、面白い一時にしたいのです。面白いといってもおかしいという意味ではありません、興味津々の話を皆さんとともに読んでいきたいと思います。

1.         まむし抄
今西錦司『自然学の提唱』講談社芸術文庫、1986年、pp184-187

2.         ポナペ島での体験
今西錦司『ダーウィン論:土着思想からのレジスタンス』中公新書、1977年、pp115-117

3.         古人の糟粕をなめる
森 三樹三郎『老子・荘子』講談社学術文庫、1994年、pp220-222

4.         虚舟・醜女
森 三樹三郎『老子・荘子』講談社学術文庫、1994年、pp240-241

5.         せん蹄
森 三樹三郎『老子・荘子』講談社学術文庫、1994年、pp263-264

6.         蠅と蟻
柳宗玄「表紙解説 蠅と蟻」『学士会会報』第788号、学士会、1990

7.         家庭と人体
井尻正二+小寺春人『新・人体の矛盾』築地書館、1994年、pp12-14

8.         品物の性質
柳宗悦『手仕事の日本』新装・柳宗悦選集2、日本民芸協会編、春秋社、1972年、pp282-287