音楽同窓生の話のつづき。音楽好きな高校生の頃、憧れた当時活躍のスターは、当然殆どが年上の「先輩」たちだった。そんな中、やはり同期生としてダントツだったのが高校3年の1967年にヒット「ニューヨーク炭鉱の悲劇」を出したbee geesのrobin gibb 1949年12月生まれ、だろう。以来四十数年間世界の注目を浴び続け、昨年はタイタニック・ミサという少々大げさだが、その中でのソロ曲「don’t cry alone」を唄っていた。亡くなる半年前の歌声は、シンプルすぎてしかし強い。伴奏を担当した日本人女性バイオリニストが語っていた。「ポップスターがミサ曲を演っても、音楽の約束事を踏み外してしまって、まるで話にならない。でも一たびソロとしてパーフォームすると、全てのことがすっ飛んでしまって聴衆がその一点に魅入られてしまう。脱帽するしかない・・」。63歳の後、Rest In Peace。
廻日録 8月23日 処暑
2012年
木曜日晴れ。丹人にて11y邸、既にバト詰め。段ボールの整理、ブルーシート廃棄4組。12y邸へ8時40分床打ち合せ オリ、クム大工。11y邸バトと連絡。「面格子ピッチ 今朝の割りでとりあえずオーケー。直った図面見てみないと最終わからない。」10時40分帰路。駅前惣菜弁当で11時半昼食。午睡。バトから11y邸報告。「浴室床写真お送りします。昨日浴室床全体に水をまいたのですが、今日になっても乾いていないところありました。配管やりかえでめくった左隣の床石が濡れ色になっています。近くでよく確認すると配管やりかえ復旧の床石目地が東外壁側 数箇所目地切れありました。おそらくそこから水が下に回ったのではないでしょうか。」16時10分丹人にて番頭を11y邸へ送り、小若と16時30分プール。ぶくぶくが出来て緊張から解き放たれた泳ぎ。風呂に一緒に入って、18時半帰路。駅前デパート弁当と焼きそば。ブログ未明。
廻日録 8月23日 処暑
2012年
タオルフックで遊び小若 |
火曜日曇り。11x邸プロシード7時40分着。地盤改良3。16時退出。ゲストハウス立寄りして18時帰路。
2010年
月曜晴れ。早朝の電車で2駅先の09y邸へ。写真などを撮らせてもらい、駅に戻って新幹線で東京へ。
再訪記-09y邸
さらに北東方面、取手駅から2両編成の鉄道で今日の2番目の目的、瓦屋さんでの製品確認へ。この瓦屋の社長さんは、付き合ってまだ3年ほどだが、かなりユニーク。私が地方飛び回っている度に、付き合ってくれている。今回も、関西の現場である10y邸での窯変瓦をストックしているものの中から選ぶことになった。世の常ならば、先生接待の好機だが、すっきりお別れして、東京へ。格安しかも誕生日前後割引で盛り場のビジネスホテル一泊。
再訪記-09y邸
ヤバ瓦工場社長 |
2009年
日 完全休養。