道楽草
「ステイ・オールド20」※リンクあり!
※ジミー・ウェッブ、1946年生の70歳。まずは作曲家、歌手。1967年以降短期間に、フィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ(Up, Up and Away)」、「The Worst That Could Happen」、グレン・キャンベルでは「恋はフェニックス」、「ウィチタ・ラインマン」、そしてリチャード・ハリスの「マッカーサー・パーク」。若干21歳の成功も、時代の変化にさらされ、勢いはしぼむが、アート・ガーファンクルやリンダ・ロンシュタット等に携わるなど、注目は続く。自身のアルバムも1990年の「サスペンディング・ディスビリーフ」は佳作。現在も弾き語りは健在である。道楽草で最も偉大音楽家認定。敬意を表してナンシイ・グリフィス※「壁が話したら」を聴く。
廻日録2015年~2007年の8月15日
かいじつろく
みちらくそう
2016年8月15日(月)晴れ。「ステイ・オールド20」※リンクあり!
※ジミー・ウェッブ、1946年生の70歳。まずは作曲家、歌手。1967年以降短期間に、フィフス・ディメンションの「ビートでジャンプ(Up, Up and Away)」、「The Worst That Could Happen」、グレン・キャンベルでは「恋はフェニックス」、「ウィチタ・ラインマン」、そしてリチャード・ハリスの「マッカーサー・パーク」。若干21歳の成功も、時代の変化にさらされ、勢いはしぼむが、アート・ガーファンクルやリンダ・ロンシュタット等に携わるなど、注目は続く。自身のアルバムも1990年の「サスペンディング・ディスビリーフ」は佳作。現在も弾き語りは健在である。道楽草で最も偉大音楽家認定。敬意を表してナンシイ・グリフィス※「壁が話したら」を聴く。
2015年土曜日晴れ。
「海水浴」
小若はまだ海で泳いだことがないので、先日皆で海水浴に行こうとなった。「海には危険生物がいるから泳がないほうがいい」などと言って、肝心の小若のノリがイマイチ。それでも到着してみれば目一杯楽しんでいるのをみて、よかったね。そうこうしているうち、クラゲらしき透明物体に触って、「クラゲが浮かんでいた!」と叫んでしまった。すると危険生物を警戒していた小若が反応して、「電気クラゲは青い色をしてるんだけど?」と。ただクラゲというだけで興奮した自分が迂闊だった。それにしても、5歳とはいえ子どもの知識は侮れない。
田舎の駅長さんは居ない |
2014年金曜日雨のち曇り。
「バックテーブル~ポップス千載一遇のマイ・チャート3部作」
1964年から67年までの4年間はまさにポップス史上激動の時代だった。ラジオと月刊誌しか情報源のない、しかも関西の地方都市で中学3年から高校3年まで過ごした私。置かれた境遇、受験と水泳生活と家族関係がそうさせたのだろうか。誰と分かち合うことなく、感受性のみでこの渦の中に巻き込まれてしまった。1966年2月からは与えられるチャートに我慢ならず、HITTABLEを作製。50年を経た今年、BOOMTABLEとBACKTABLEのブログ化に至った。ブログHITTABLE復刻版が休眠中であるが、2016年2月にはBACKTABLEとの連携を算段している。マイチャート3部作の今後を楽しんでいきたい。本日はとりあえずこちらへ。backtable1964.blogspot.jp
小若とモールトンでプールへ行く途中、昔通っていたAy保育園の先生方とばったり。懐かしいのと照れで小若は引っ込む。しばし談笑。坂道を苦労した後プールに辿りつくが、あいにくの午前休業は水練学校のため。夕方出直してピーるは、初めて流水滑り台を体験。夕方駅前デパ地下Dmにて、豚肉うす切り、レタス、続いてスーパーCp,特濃牛乳。
手作りアイスクリーム |
潜水泳法というのが昔あった。オリンピックの金メダリスト、平泳ぎの古川選手が有名だったこと、「前畑がんばれ」は知らないが「古川まだ上がってこない・・」を覚えている。1956年のメルボルン五輪、7歳の時だ。
今日から事務所は夏休み。今年は遠方の13x邸の休みに倣えしたわけである。お泊りの小若家族は昼には帰る。この日をどうするか。まず一緒に帰省自動車案は没。小若と南のプールに行ってそのまま小母が迎えに来て変える案。昼食食材を硬派総菜屋でソーセージなど買って、小若家族とバイバイ。昼食午睡。昼から13y邸の実施設計拾い。基礎に続き大工造作、上棟一式、足場シートなど。夕方プール一人、自転車で。帰路駅前スーパー、瓶ビール、特濃牛乳、青ネギ、白菜カット、豆腐そうめん風、豆腐、ぶなしめじ、白ネギ、なす1こ。老舗肉屋、牛切り落とし500g。
2012年水曜日晴れ。
建前3日目 屋根仕舞い |
11時前一旦帰路。このお盆休みは11y邸でいっぱいだが、12y邸ご主人様から、いつもながらのご丁寧なお知らせとお願いメールあり。
「▲板庇用の桟木(長さ1mのもの160本、90cmのもの55本)のベンガラ塗装は完了した。▲雨が若干心配だが、腕木、桁の柿渋塗装は、本日の午後に行う予定。明日の朝から大工さんたちに庇の取り付けをしていただける。明日も午後から入って、取り付けられた箇所から庇のベンガラ塗装をしたい。(その後、左官との取り合いがある土台部分、建具部分を中心に進る)。▲ベンガラ塗装に関して、浴室内部をどうするか、打ち合わせしたい。クム大工の話しでは、内部はベンガラの場合と柿渋等の場合とどちらもあるとのこと。防水を考えるとベンガラの方がよいのか?▲建具表ありがとうございました。網戸がどのようなものなのか、写真、詳細図等ありましたら送ってください。▲ご存じのように、現場の仮設水道部分の土嚢が崩壊(土嚢袋は納品済み)。現場に日参して気づいたが、水を使わないときでも、通常時の風の作用によって、現場に来るとつねに北側隣地のガレージ部分に、50cmくらいの細い島状に、それなりの量の砂が入り込んでいる。土嚢よりも、コンパネの欠片か簡単な土留めブロックを敷地の縁に打ち込むなどした方が流出をおさえられそう。いずれにせよ、文句が出る前に何らかの工夫をお願いしたく思います。」・・これに納屋組名義で返信メール。「明日現場9時ごろに柿渋等の打ち合わせお願いします。クム大工作業終了予定につき、新しい大工さんが入ります。網戸のキープランができていませんので、他の現場のキープランを後ほど、添付いたします。土嚢袋決壊、明日対処いたします。」バトと帰路途中でスーパー弁当ゲット。助六とトーストランチ、シャインマスカット。バトは和風弁当を選んで現場へ送り戻し、ようやく帰路昼食午睡。14時丹人にて多少遠方のホームセンターでカスガイとブルーシート3枚。15時過ぎ現場へ戻る。屋根仕舞終了につき17時半帰路。夕刻一般の方からお尋ねメールあり。「○○と申します。○○の土地(添付)ですが、設計可能でしょうか。建蔽率30%、地域地区特性、土地の広さや地形などで難しいという点があれば併せて教えてください。おそらく10年程前、納屋組見学にお邪魔したことがある者です。その当時○○に住んで、その近辺で土地と設計士さんを探していた。金額面やタイミング等そうこうしている内に海外勤務となり、日本を離れてしまい、マイホームの想いがどこかへ飛んでしまいました。家族は2年前に○○に戻り借家住まい、私本人は今年初めに帰国し○○に単身赴任生活。4月ぐらいから土地探し進行中。建てるのであればシーダバーン型住宅と一途に思っているのですが。」・・これに対して後日返信する。「○○様、先の日曜日にパソコン不調になり、またお盆休みにつきメールチェックが出来ませんでした。ご返信遅くなりました。中略。▲現地見ませんと確実な返事は無理です。ご事情などもお話しいただいて、しかも10年も想っていただいて恐縮です。ご都合よろしければ、再度お訪ねいただければ幸いです。」
事務所盆休み。夕方小若水練。
盆休み3日目。
2009年土曜日。
盆休み。
2008年金曜日。
盆休み。