シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



第5回講義録111026

※第5回目からは、内容等についてかなり簡略化したものになります。取り急ぎ公表することを優先するための処置で、後日機会があれば改めて内容充実としたく思いますので、あしからずご了解ください。






講義に先立って大学事務室より業務上のアナウンスをさせてくださいと担当教授のお申し出あって、ランドスケープの学生たちが外部実習の都合で遅れるため10分繰り下げて開始しますとの内容であった。講義は17時10分より講義開始。

では時間が来ましたのでイントロから始めます。



イントロ
皆さん今回ご紹介する「荘子」をご存知でしょうか。孔子や孟子とかよく耳にしますけれど、さて老子、荘子はどうでしょうか。私も大学時代に文庫本を買って訳書を読みましたが、最初の数ページであきらめました。あまりに大言壮語が書いてあるのでばからしくなったのかもしれません。30代後半か40代に再読したら、はじめの峠を越えるとそれはそれは面白い話が続々とでてきました。いわゆる老荘思想と言って今から3000年以上前に春秋時代というのがあって、いわば反体制、反科学、非合理の自然派とでもいう思想です。体制側に取り入れられた孔子の儒教も出てきました。今でも私は仏教が苦手で、禅問答や般若心境なども縁遠いのですが、それはもともとこの老荘があってそこから派生した亜流だからではないかと疑っているのです。老荘の老子は短文の集まりで簡潔な説得力があるのですが、荘子は寓話といってたとえ話の連射で興味を引き付けるのですね。中国思想の研究で知られた福永光司氏の幼少時の話が印象に残っています。

『裏の氏神の境内にある曲がりくねった松の大木が、どのようにしたら真っ直ぐに跳められるか、考えてみなさい』と学校から帰った少年をとらえて母が奇妙な宿題を課した。『伐り倒して製材所に運んで』という知恵もあるわけでもなく、問題は少年にとってあまりにも高等すぎた。翌日まで考えつづけた末ついに屈服して母に答を求める。さて母親の答は如何に?『曲がっている木を曲がっている木としてそのままに眺めれば、真っ直ぐに見ることができる』・・分かったような分からないようなこの答を聞いて少年はあっけにとられ、以来脳裏から離れない・・。

さて、前置きが長くなりましたが荘子の抜粋をチアと共に読みましょう。

「古人の糟粕をなめる」
とにかく色々仕事の話をしていますが、学生の皆さんはまだ仕事をしたことも少ないわけですから、私の本当に伝えたいことは伝わっていない、と思わなければなりません。今わからなくても何十年後にああなるほどと思ってくれればいいと思います。

「虚舟」
ものづくりの話に通じます。無の境地だとアイデアが浮かぶ、何かやってやろうと思うとできない。みなさんには無心で取り組んでほしいと思います。

「せん蹄」
仕事、設計の話に通じます。模型や図面など、実際に建ってしまえば不要になりますね。実物の評価が大事なのに、やれ作品展だ模型展では意味が無いのです。

ところで、荘子にはこの他にも色々感心する話があるんですね。例えば、わかりましたといっても本当に分かったのかどうか怪しいことってたくさんあるのですが、荘子はわかるということ自体に疑心を持っていたのです。
つまり、 


  わかる      ⇔      納得  
    ↓                ↓ 
わかったつもり   ⇔   はっきりしないけどなるほど! 

・・・といったようなことです。最近というか昨日実際にあったことですが、引き出しレール事件というのがありました。スタッフのテーブルの図面を見て、3つの小さな引き出しがあったので、一つのレール引き出しの案に変えてくださいと電話でお願いしたら、3つあるうちの一つがレール付きになって帰ってきたんです。そうじゃない!と、引き出しを大きな一つにして重くなるからそれにレールをつけてください、とお願いしたのに・・。

みなさんは手段や技術の勉強を主にしていると思いますが、本当の勉強は人間的、環境的にどれだけ感受性が豊かになるかなのです。以上です。次にテーマに移ります。




テーマ
昨週に引き続き建前の写真をご覧ください。(バックグラウンドは同じくPat methenyの音楽)


細かい説明しませんでしたが、おおよそ雰囲気を掴んでください。写真にはありませんでしたが、上棟の後「立ち見」という作業がありました。これは、建物の軸が建っても、各柱の垂直が出ていませんから、1本づつ下げ振りを見ながら、垂直に直して、仮筋違という斜材を打ち付けていきます。そのままで、楔打ちを行います。仮筋違は壁材などの作業が終わるまで残しておいて、取り外した後も格子材などに使用していきます。

以上で終わります。次に、講義の要点であるサビです。





サビ
すでに何度かリフレインしていますが、設計と施工を一貫で行う場合と設計と施工は分離して別々に独立する場合の二つの考え方があって、なかなか相容れないものもあるのが現実です。大きく分ければ工務店は一貫派が多く、建築家は分離派がほとんどです。

インターネットより分離論紹介。監理と管理の違いを少々説明。

ここで、私だけのアイデアですが、其々の施工に対する取り組み方で設計の度合いを見ることができるというものです。別図、図式を参照してください。 



小設計 
設計施工と言っていますが、出自は施工寄りからなので設計をあまり重視しない場合です。 








中設計  
分離派の建築家の多くこれだと思います。なぜ中か?建築家が施工に弱いからです。建築家は施工者と話ができても、下請けという身分上直接の工事者とはコンタクトできないようになっているんです。直接工事をする人の賃金とか材料の品質とか情熱とかに触れようにも、本質が見えない場合もあるのです。建築家は直接の瑕疵責任を引き受けたがりませんから、あまり深入りしないという事情もあるのでしょう。 



大設計 
今や日本の設計界にもCM(建設管理)協会もできています。施主と建築家がいっしょになって、強固な結びつきで工事業者に発注できます。工事の注文など無愛想な職人が窓口になったりで、大変な労力が必要です。しかし、いいものを適切な値段でつくりたいという建築家の情熱があればできることなのです。



17:54、突然アナウンス入る。先生いったん話をやめて静かに待つ。(今回の講義はイレギュラーのためか、休憩時間の構内アナウンスが入ったとみられる) 本題に戻る。



だから建築家で「積算・施工」を教えられる人が少ないという状況があります。うぬぼれているわけじゃないですが、私も微力ながらこうしてお伝えできるのも、大設計という立場で施工を考えているからに他なりません。

荘子は3000年前にわけちゃだめと言っている。今はどうですか。断熱、機密 外と内を分離して得意になっています。インテリアと建築など分離して教えています。何から何まで分離して遮断して、整理して後からそれらを統合しようとしていますが。合理主義の限界を気づかねばなりませんね。今日はこのくらいで。時間がありません。どこまでいけるか、Q&Aで終わります。




フェイドアウト
ではQ&Aに移ります。(これは次回に読み上げたものですがこの回の質問につきここに掲載します。全員・全回のQ&Aはこちら) 


第6回講義より(111103)

先生がこの仕事をされている時に、一番つらいと感じる事は何でしょうか?もしあれば教えていただきたいです。
▲一番つらいと言われても・・現場ある限り毎日辛いです。売れてるサスペンス映画の主人公のように次から次へと難題が降りかかってきます。それが仕事というもんでしょうか。年ですからリタイアできる人はいいなぁと思いますが、何も起こらない毎日に耐えられるかと言われると、そうか・・辛いのも想定内かとも思います。一番つらいと言われれば、以前は施主とのトラブルでしたが、最近あの手この手で少なく小さくなりました。 
仕事で楽しいと感じる部分は、祭の準備期間が楽しいということと同じようなものかなと思いました。機械を使わず自然のままという暮らしは私も好きです。どうしても防犯の面で引っかかると思いますが、その部分は何か行われていらっしゃるのでしょうか? 
▲防犯は設計上で解決する話です。工事中の防犯と暮らしてからの防犯とがあります。工事中は今までいろいろありました。現場に夜間侵入して柱の根元にろうそく置かれたり。鍵を壊され建具を壊され段ボールごと新製品を盗まれたり。しかし暮らしてからは木の窓は意外に研究されていないのか、話は聞きません。どちらにしろ、保険は必須です。泥ちゃんも経済行為の一環になってしまいますから。きちっと保障してもらえるように備えなければなりません。
良い建築をする事も必要だがアフターケアの心配なども生まれた。 
▲アフターケアというサポートはしません。家電製品で町の電気屋と量販店の違いをイメージして。きちっと作ればあまり想定外のことは起こりませんから。新築の仕事に忙しいというのもありますが、多少のことなら住む人自身でケアすることを前提に考えています。日程と金額をきちっと提示される礼儀正しいお客様には、改修工事として対応しますが。工務店は末永く面倒見ます・・などと言いますが、それはリフォームなどの営業費を見ていますということですね。
設計と施工は別なのですか?お金って大事なんですね。お金があるないで人の縁を切られるのは恐いですね。
▲設計と施工は別ですが一体として考えましょう。お金は人を結びつけるし壊します。施主と工務店とに訴えられたことがありますが、最後はお金での決着しかありません。おかげで一方的な理不尽にも立ち向かう力がつきました。