さっこんそう
2015年10月4日(日)晴れ。
「バックページ~命日の記憶・48」※リンクあり
※ジャニス・ジョプリン、1970年10月4日、1943年生の27歳。死因はドラッグ過多。この頃のロック・スターは不安定というか型破りが多かった。早世のジム・モリソン、ジミ・ヘンドリックス、ママ・キャス・・。1968年春大学生活で単身生活を始めた私に、大決壊のロック・ミュージックが重なる。特に静謐なサティで始まるブラッド・スエット&ティアーズ※「セカンド」とオープニングから疾風怒濤のブッグ・ブラザー&ホールディング・カンパニー※「チープ・スリル」は、当時生まれたロック喫茶でコーラを飲みながら聴くのが精一杯。あまりの進化に仰天した。ジャニスの名声は、後の遺作アルバム「パール」で決定的になるが、ビッグ・ブラザー時代のメイン・ボーカリストのほうがどんなにショッキングかは、時代背景もかなりあった。へそ曲がりの私でさえ、もう圧倒的されるばかりだった。
廻日録2014年~2007年の10月4日
2014年土曜日曇り風強い。
「世間ネタ・自転車道」
御堂筋の一部側道が自転車レーンに転用、歩行者と分離するらしい。過去40年ほどで自動車の交通量が4~5割減少した一方、自転車は6~7倍に増加しているようだ。状況はロンドンと同じかもしれない。ただ、発想は、歩行者の安全性から歩道と自転車を分離するところにあるのだろう。自転車が車道を走る安全性からではなく・・。本来自転車が車道を走って当たり前なのだから、国道2号線のように路側帯が十分あるだけでもかまわない。ただただ、自転車、二輪車、自動車各々のルール遵守とモラルに求めればいいだけだが。我々はそこまでの到達が難しい存在なのかも。悔しいです。
2013年金曜日晴れ。
(まえがき)
めっきり涼しくなって、あの猛暑は何だったのかと思うくらい。それと竜巻が起こったり集中豪雨があったりと、天災は「忘れたころに」やってくる・・ではなくて、「忘れないうちに」やってくる。そういえば、荘子だったか、こんな言葉があった。「備えあれば憂いあり」
14x邸割れガラスに合わせた |
2012年木曜日雨後曇り。
建築積算施工講義の一部 |
2011年火曜日晴れ。
終日事務所。午前、チアとタケ大工刻み場へ。10z邸現場ではブロック積み、杭頭処理。10y邸はバトが行っている、電気工事、板金工事、大工はモクセン、面格子、階段など。夕方フェリーで10z邸へ。
現場速報-10Z邸10日目、刻み場訪問
追掛帖-10Z邸、刻み場訪問
現場速報-10Z邸10日目、刻み場訪問
追掛帖-10Z邸、刻み場訪問
2009年
日 晴れ 完全休養日。