シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



音楽簿1966年8月20日号







HITTABLE誌も創刊半年を経て益々充実してきた。毎週の赤い字で記す上昇曲が最近は20曲前後となって半端じゃない。完全無風な昨今から比べるとどれだけ胸躍るワクワクの毎週だっただろうか。でも高校2年生と言えば受験勉強の最中、水泳部の主将もやっていたんだから、たぶん大忙しの毎日だったんだろうね。特にチャート発表の前夜金曜日とか土曜日は・・。そういえば水泳と言うのも、毎日、1分何21秒8などという数字に酷暑の毎日一喜一憂していた、数字がすべての世界だった。チャート付けも結局は順位と言う数字。逆に言えば、数字と言うものが実体を伴って輝くものだと、当時から薄々気づいていたのかもしれない。「ハングリー」が首位奪取。前作「キックス」は2位だったが、両曲のプロデューサーは「ミスター・タンブリン・マン」と同じテリー・メルチャーだ。こういう作風は日本人には及ばない何かがある。作曲は誰かと言うと、何とバリー・マンとシンシア・ウィルというニューヨークの腕利きプロ作曲チームだった。HITTABLEでいえばミリオンセラー格№1ヒット「ソウル&インスピレーション」など。無数の良曲量産した、別けてもあのバリー・マンだった。「イエロー・サブマリン」とか「サマー・イン・ザ・シティ」も急伸してきた。「アロング・カムズ・マリー」は当時としてはこれで一杯かな。先週の反動か、今週は新曲少なし。「若者たち」は黒沢明の息子がいたんだっけ。