みちらくそう
2016年4月3日(日)曇り。
廻日録2015年~2007年の4月3日
かいじつろく2016年4月3日(日)曇り。
「お花見」
開花の頃になると、あと何回桜見物ができるのだろうかと思ってしまう。年を重ねるにつれその思いが強くなるのは、私だけ?今年はスケートでの内側側靭帯損傷にもめげず、番頭と川沿いの散策に出かけた。市のイベントがあって、出店の混雑の中を歩いていた。後ろからベビーカーの車輪で踵を突かれた。痛い!と言ったが、その母親は何とも反応しない。一廻りしたあと、またベビーカーに当たりそうになった。一瞬番頭が私の方に「何しモタモタしてるの?」といった顔つきになったが、さっきのベビーカーだった。よく見ると、押しているのは母親ではなく御婆だった。花ならぬ腱に火花。「祟りじゃ~」廻日録2015年~2007年の4月3日
2015年金曜日曇りのち雨。
フラッグシップ |
ブームテーブルに引き続きYOUTUBEへのリンクを張ることにした。「評価5」の優秀認定曲だけの限った。新曲もあれば、もう圏外に去ったものもある。その週の関係でどれだけ集まっていたかもわかる。⇒のついている大きな文字の曲が対象曲。百聞は一見にしかずの反対で、「百見は一聴にしかず」。詳しくはhttp://backtable1964.blogspot.jp/
ターンにて輪行。足場解体後の14y邸を拝見。昼過ぎ帰路。夕刻スポーツクラブ、レッスンはズンバ。
2014年木曜日晴れ。
名所「岩梯子」その2。とりあえず手前の山に登ったが、引き返そうかということになった。でも登った道を下るなど面白くない。地図にない道が無数にあるという六甲の山の特徴が活かされないからだ。そんなとき、向こうから登ってきた老人風の方とすれ違った。エチケットに反するかどうか、思わず尋ねてしまった。「どちらまで行かれますか?」
13y邸駅前の桜泉 |
2013年水曜日晴れ。
米国、いや全世界で最も成功し最も長く活躍したバンドの一つがchicagoである。その中心的人物がrobert lamm。1944年生まれの5年先輩は、今も若々しくステージに上がっている。驚異の69歳である。デビューは1968年と遅く、何と24歳の時である。しかし初期の、というよりデビューアルバム、当時も今も珍しい2枚組の作品群は今も色あせない。「beginings」「does anybody really know what time it is?」「qestion 67&68」「someday」・・ブラスセクションがありながらジャズではなく、当時としてはロックという初々しい言葉に当てはまる稀有の傑作だった。いや、robert率いるこの頃のchicagoはロックというよりポップが本質だったということ。今さらながら声を大にして言いたい気持ちだ。
小若の新入園舎 |
暖かい一日。10時駅前スーパーで、ブリカマ天然がなくなり、今日はタラカマ等。卵、納豆、豆腐、ヒイカ、本鯛、がんも、しじみ。ジャンナッツ紅茶。10時50分時丹人にてメゾン。防犯カメラと屋上と集会場キーの打ち合わせ、2人。12時帰路。昼食。ミカさんから電話あって14時メゾン管理室のパソコンクラウド設置の打ち合わせ。14時40分小若迎え丹人にて帰路。高校野球終了表彰式見る。16時過ぎ小母帰宅。17時退場。夕刻ブログ。トークアバウト原稿、ブログ綴り。
2012年火曜日曇り後暴風雨。
7時50分オハ旅館発12x邸現場着。既にアッシ。ついで新参というか助っ人。旧マーチでやって来たルマ、程なくダンの3人でステコン打ち。最近の認識だが、多くの基礎屋が捨てコン打ちに力を入れている。今回のアッシに聞くと、これをしっかりやっておくことが、墨出しや型枠固定に貢献することになる。早さも正確さもね、と言うのである。名前は捨てだが拾いもののような気がしてくる。さて、生コン車は10時過ぎに来場。生コン師とでも呼ばれそうな親方のような年寄。ダンがユンボで受けてルマが猫車で運び、アッシが鏝押さえ、という必勝パターン。ところが、ルマの動きがぎこちないというかモタさん。見かねてユンボから降りたダンが足場板の橋を渡って生コンを落としていく。そしてまたユンボに乗って・・。昼前終了。アンカーボルト等の最終位置を伝えて、暴風対策をして12時過ぎ退場、帰路。今日の宿が決まっていない。ネット探すも決め打ちなく、駅前旅館に電話。今日空いていますか?雨模様で早く仕事終わったので入りたいんですが?今、会議中だから・・。22号室空いているから勝手に入ってください・・だと。昼食惣菜焼きそばを食べて、14時過ぎ駅前旅館(ザメ旅館)。友人ダクさんから屋根材について電話あり。この暴風雨と関係ありや?と恐怖したが単なる葺き替えの相談でホッ。次に遠方の12b様から電話。土地が決まりそうだから一度CBを訪ねたいと仰るが、こちらも遠方。遠方同士で私が土地見にい行きましょう、と話がまとまる。
夕方も過ぎて、防風雨が勢いを増す。そういえば旅館の隣が小しゃれたイタリアン・リストランテだった。こういう日こそ、入ったれ。結局私ともう1人の2人の店内。パスタと魚料理コースはなかなか行ける。ネットでも評判よさそうだ。若い接客係りが今日はあきらめていました。だのに2人も来てくれるなんて、と大喜び。帰り際にはシェフもドア前まで深々とお辞儀の見送り。帰路、といっても30秒で部屋に戻って、番頭と今日の連絡し合う。11z邸のシートも飛びそうになっている。CBの通り土間もびしょぬれ。11y邸はクム、オリ大工がびしょ濡れに なってシート養生。夕刻ブログ。
12x邸 捨てコン打ち |
貸切状態のリストランテ |