シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



廻日録 7月9日




2012
11y邸 ガレージ小屋スケッチ
月曜日晴れ。6時過ぎ起床。朝食の後マッサージチェアにて仮眠。8時前小若母親が新アルトで到着。ガレージ現状満杯につき、メゾンへ転送。徒歩帰宅。チアが11y邸網戸実測と建具納品立会いに。10時から見学来客あり。若いご夫婦で、近々の計画はないけれど一度見ておかなければと。雑誌での平面例や雰囲気などに浸ってから、1階廻りをご案内する。余韻を残して12時ご退場。昼食は番頭と近くの名物魚料理屋で真コチの刺身と煮つけ半分定食。界隈のベーカリーでハードやコッペ購入して、炎天下の中、1メーターでタクシー帰り。午後から番頭に急かされて11y邸のガレージ屋根の架構検討。もともとの発想は、農夫や漁師の担ぐ天秤棒であった。揺れの大きさを危惧して今回は肩幅を広くとって、柱間を一間にして安定方向に。東西のバランスを変えたB案をバトに添付メールする。夕方小若母とプロシードにて小若拾ってメゾン。帰り際理事のラムさんと出くわす。帰路途中、スーパーで刺身など購入、夕食。
12y邸はバト詰め。シゥー組4人(シゥー父含)基礎工事の脱型 一部埋め戻し 束石型枠など。午後からダヤ商会 先行配管。
(11月8日時点のコメント)
遠方から帰っての翌週始まりはほぼ終日事務所。ともかく現場の重なりは3か所から2か所となった。就寝前YOUTUBEで聴いていたのはフランス・ギャル。シンプルな、しかも究極の名前である。1965年「夢見るシャンソン人形」の大ヒットで洋楽のアイドルだった。当時はギャルと言う呼び方はなかったが語感が伝わってきた。来日して振り袖姿で京都などを訪れた。まだまだフランスやイタリアの音楽の輸入が勢いのあったころである。68年位からの英米ロックムーブの音世界になってアイドルは賞味期限を迎えた。フランスギャルも過去形となり、以来40年を過ぎて掘り起こしに夢中になった。詳しくは次の機会に・・。



10ex邸とお向かいの小屋
2011
土曜日晴れ。10ex邸電車で9時着、10ex様1、タケ大工3塀建て方、ベンガラ塗り。午後からチアと交替。メゾン理事会へ。10z邸、外構3。







2010
金曜日




2009
木曜日

09x邸外部









2008
水曜日
08y邸 渡り廊下庇
















2007
月曜日
07y邸 土台敷き