何となれば、2回目から曲の興亡盛衰がみられることになるので、変化の楽しみである。
当時ラジオ番組や音楽雑誌ではトップ20程度の紹介が多かったが、
ビルボードはとにかく100位まであることがわかっていた。
それだけ熾烈な競争の場だったことだろう。
私は50位までしか整理できないと観念したが、20位よりはダントツ。
勇躍の№1「私の愛」はbillboardでは2月5日からの№1だから3週間遅れのトップである。
しかしペトゥラ・クラークも日本では人気なかったなぁ。
とびきりの「ダウンタウン」ほどではない曲だが。
赤字での表記は、赤丸急上昇に倣ったもの。
急上昇グループRolling Stonesの「涙枯れても」は「イエスタディ」の対抗曲ではちょっと弱い。
初登場№1というのもある。14位のウイルマ・ゴイクの曲は原語記名のこだわりで書いたため、
邦題はなんていう曲だったか?メロディも・・?ようやく思い出した。
イントロからすぐサビのわかりやすいウキウキする曲だった。
この頃は英語圏だけでなくイタリアのカンツォーネやフランスのシャンソンも活きがよかった。