シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



道楽草
 みちらくそ
2016年11月25日(金)曇りのち晴れ
「役者じゃのう!」
判官びいきというのがある。判官は源義経をさすが、現代はさしずめ関取Kst だろうか。多くの人々から大関から横綱へ期待されるが、先行したMg横綱3人に包囲された。 この3人・・力がなければのことだが、互助会を組んだからタイミングよく昇進できた。しかも後追いの昇進を断固受け付けないよう、裏の連携を続けてきた。しかしいつまでも隠し通せることが出来なかった。それがこの度の3連撃破、胸のすくような3タテだったのではないか。

廻日録2015年~2007年の11月25日 
かいじつろく
2015年水曜日晴れ曇りのち雨
「バックページ~命日の記憶・58リンクあり
西本幸雄2011年11月25日、1920年生の91歳。死因は心不全。1960年の大毎監督で優勝したにもかかわらず日本シリーズで負け辞任。当時11歳の少年の頭にも鮮明な記憶が残っている。現役ではパッとしなかったが、20年間の監督時代、大毎、阪急、近鉄と8度のリーグ優勝。日本シリーズではすべて負け、「悲運の名将」と言われた。西本は「悲運なら戦争で死んでいるし、素晴らしい選手に巡り合えて8度も日本シリーズを闘えない。幸運な凡将ですね(笑)」と語っている勇退表明後、弱小2球団を常勝軍団へと導いた近鉄対阪急最終戦では両チームの選手から胴上げされた。温厚かつ厳格・・大人物だった。
峠越え

9時発モールトン輪行。JrSn駅下車、一山峠越えて15x邸着。11時退場、Hmj駅から新幹線。Hm駅下車。小若宅。小母の会社へ、丹人。小若お迎え。


2014年曜日晴れ。
「モールトン・30年目の出会い・3」
kikutake(師のKt先生)とmoultonの共通項の本質は何か?まず考えられるのはデザインでの構造表現。同級生だったと言うHd教授によるとkikutakeは「鳥居のような柱は、座屈を貫で抑えるという・・やっているうちに日本的になってしまうのが彼らしい。大抵の人は日本的なプロポーションを学ぼうとするが、力の流れまでは考えない。」という。建築も自転車も力の流れを考えなければ成り立たないのは当たり前だが。

納屋組、玄関土間家具移動。夕刻、スポーツクラブ、ヨガ。

2013年月曜日雨。
CBの陶器製シェード
日本に限らず芸能界では世襲という継承文化がある。もしこれが純粋芸術やシビアなスポーツともなれば誤魔化しがきかない。そこで建築家の世界であるが、どちらかといえば純粋芸術の分類に入るということだろう。二世建築家など、うまくいったためしがないからだ。

朝から一歩も家を出ないことにする。1か月の現場詰めとこの2,3日の連休の追い込み疲れを癒すため。もちろん、番頭やバトも同じ様子で、少なくとも朝は休もうと。昼前から丹人の荷物おろして、昼食は鶏ソテーチーズ載せ。給与作業のあと、14x邸スケッチ本格化、C,D,E案。夕食ボタン鍋。
2012年日曜日晴れ。
早朝小若家族を見送る。経理、領収証等の貼り付け。昼食きつねうどんとざるそば。午睡。メゾンへタントにて。小若の水着ゲット。番頭を駅まで送って、丹人の廃材を荷卸し。再び丹人にて小若番頭迎えて、スーパー食材購入はバッカス、ラミーチョコ各5個、ヨーグルト、クリームサイダー、芋2こ、みかん。温水プール着16時。17時30分帰路。小若家族と4人で夕食。小若母の惣菜中心。海鮮どんぶりの取り合いで番頭と不仲。夜なべで領収証整理。就寝。

3世代
2011年金曜日晴れ。
ストーブ前にしっかり陣取るアヤコ
冷え込みきつく早朝から薪ストーブ。アヤコもしっかり位置取り。
8時半新アルト11y邸着。昨日の防水左官終了で、今日はボム1人の黒塗装工事。2度塗りの1日目。一方、シゥー組はチバとジド2人。石積み、池と建物の太刀持ち露払いがほぼ出揃って、いよいよ基礎工事の初日。
チバはまず残りの石を用途別に移動整理。ジドは池周りの玉石添え積み、これは終日。チバがユンボ降りてきて、

トランシット

チバ:「どうしましょう?シゥーはそろそろ来るけれど、まだ30分ありますが・・。ワイヤーがないので石セットできません。」
先生:「そうですね、トランシットもってますか?」
チバ:「はぃはぃ、もって来てます。」
先生:「それやったら建物の最終位置出しできますね。」
チバ:「できます、できます。」
先生:「トランシットをセットして、直角出しましょう。」
チバ:「どこから始めますか?その地点に据えて測量しますから。」
先生:「それが不等辺四角形の敷地の配置がとっても難しいんです。1週間考えてもアイデアでませんから。南は予定通りですが、北側の東西が30センチ東によって、みかんの木あたりが窮屈で。その分道路側は少し余裕あるみたいですし。まるで平行四辺形かと思ってしまって、あちらを立てればこちらが立たず。どう調整したらいいか、実際にやってみるしかないんです。」
11y邸 池塗装
まずは建物を東の隣地擁壁に平行にする判断でいいか。そうすると、池のほうにこけてくるので、その分全体に34センチ北側に移動する案だ。結局そのこけた寸法と移動寸法が合っていて、全体が収まるラッキーな展開となった。最近人からベテランと呼ばれたりしているが、これなんかやはりカンが働いた成果だし、自称ベテランになったなぁと感慨。神経戦を終えて午前終了。買い置きの現場デリバリ弁当昼食、昼寝。午後、シゥーが入場。図面くださいと言われるが、その図面が修正し切れていない。配置も最終決定伝えなければ。もうここまで来ると、誰にも相談できない程微妙なことばかりで、最早孤独な決断せざるを得ない。このラインでやります。まずはこのグリーン色の部分掘ってくださいと、ボールペンで色分けして旧図面の手直したものを渡してしのぐ。そのうち1411yご主人入場。よくぞ、おいでくださいまして・・孤独な決断せずに済みました。池の端の微妙に近接のところ、東の擁壁とのゆったりとしたスペース、北東のみかんの木、畑のスペース等々位置関係をご説明、納得いただく。それから基礎の変更、文字通りの束石として自然石使用など説明。場所によっては切り石は階段段鼻に。
11y邸 発掘石
退場された後、巨大な石が基礎予定の真下から発掘。明日にも11yさんに報告相談しよう。17時前キロ。チアに11x邸食品庫棚案オーケー。夕刻、11x様にメール、ブログ。
その11x邸。ゲストハウス泊のバト詰め。オリ、クム別途工事2。タオ左官 中塗り ゲボハウス泊。タラ硝子 9時~1630分 ガラス入れ(済み)。グフタイル(キノ)浴室レール据え付けおよびモザイクタイル。ガス屋 設備機器取り付け、ガスメーター取り付け。


講義帰りに
古建具屋に立ち寄り
2010年木曜日晴れ。
講義日。10z邸大工2、電気屋1。10ex邸、レベル出し。10y邸、バト。残工事。夕方フェリーで10z邸へ。
講義後町屋食
10y邸 トイレ











2009年水曜日。

08ex邸タケちゃん組トウさんとユウ
2008年
火曜日晴れ。 
新アルト 08ex邸8時20分着。 タケちゃん組3人 キッチン搬入 手すり 残材撤収 16時退出。 クム大工 ダメ工事。柿渋手ほどき 桐油 6本目 16時半帰路。 09x邸 シゥー組 解体。


2007年日曜日晴れ。
小旅行で江戸時代の学校にて。