シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



道楽草
 みちらくそ
2016年11月26日(土)雨のち曇り
「バックテーブルとヒットテーブルご案内」リンク!
50年前のマイブーム・チャートHITTTABLE」はとうとう「cherish」が首位陥落して、黒人歌手、グループ初の№1の、フォー・トップスに取って代わった。2位にもクラシカル・ロックのレフト・バンクが入って気分一新の様子。全米は上位3曲が不動。ビーチボーイズやニューボードビルバンドを2週にわたって凌いだシュプリームス「ユー・キープ・ミーハング・オン」。スティヴィー・ワンダーの本格的活躍は、この急上昇かつ黒人パターンから抜け出た「太陽のあたる場所」からかもしれない。当時のチャートはbillboardcharts/hot-100/1966-11-26で。バックテーブルはhttp://backtable1964.blogspot.jp/まで。

廻日録2015年~2007年の11月26日 
かいじつろく
2015年木曜日雨のち曇り
「バックページ~命日の記憶・59リンクあり
村野藤吾1984年11月26日、1891年生の93歳。死因はわからない・・建築家の場合公表されないことが多い気がする。当時たまたま、関西での事務所責任者だったので、お通夜にお邪魔した。詳しく訊ねておけばよかった。村野作品にはモダニズムとは違った装飾主義のせいか、70年代くらいまでは、評価がまちまちだった。ポストモダンが流行りだして、俄然脚光を浴び老齢まで活躍できたのかもしれない。たぶん彼のような設計は別世界のものだと思っているからかな?デザイン云々の前に、現場で箒を持って掃除している姿とか、「建築家の50,60はヒヨッコ」、「自分のデザインできるのはたった1,2%くらいしかない」などという言行録が記憶に残っている。
柔軟

小若宅。小母バスで会社。12時過ぎ丹人にて小若お迎え。Snr湖で遊んで、Hmスポーツセンター、体操教室。夕方最寄の食品スーパーFode、ほんめじ刺身、卵、ウィンナー、鶏もも肉、豚ロース薄切り、あさり。小母お迎え。




2014年曜日晴れ。
「モールトンで街走り
スマホのチカラの助けもあってモールトン街走りに力を入れていこうと。しかし、その実行には車の運転とは比べ物にならない体力知力、いやカラダ感覚というものを使う覚悟が要る。まず装備からであるが、そもそもモールトンとはどういう自転車か、他の自転車とどう違った特性があるのか、を把握していかねば。※本日リリースのブームテーブルは延期。

おそうじ
8時モールトン14x邸着。40分。タケちゃん組3人、煙突取り付け調整と掃除。間もなく、セバ電業の若い電気屋さん。しっかり、明るい。ライティング・レールと玄関照明取り付け。14x様も立会い。13時帰路。途中Rk道で食材スーパーPl、にんじん、ランプステーキ、鶏もも肉、お刺身用鰹、ちりめん、小岩井ヨーグルト。結局地道往復20キロをモールトンで往復。昼から牛ワイン煮込み。夕方食材スーパーPl、和牛シチュー用、和牛ももかたまり、豚バラスライス、カキ、甘エビ半額、京あげ、焼き豆腐、きぬ厚揚げ、糸こんにゃく。続いて酒屋スーパーYy、ミックスナッツ、クルミ&シード、アーモンド、スピガドーロ・バッサータ・ルスティカ、ピュア・オリーブ・オイル缶、フルーツミックス。

2013年火曜日晴れ。
CB前の道路工事
半ば地方の現場を、約1か月間詰めていた。往復すると3時間はかかるので、現場近くの宿を借りて、週末だけ帰宅する単身赴任生活となった。その期間やはり不便は食事のこと。今後のこともあって工夫を凝らさなければならない問題だった。

お昼、老舗肉屋にて赤身ステーキ、マルシン150グラム*2、肩ロース1キロ。紅茶豚。夕方給与振込。13y邸の軸組スケッチ修正。14x邸スケッチF案。
2012年月曜日雨。
秋深
朝から、かなりの雨でうっとおしい。バトは10ex邸の電熱ヒーター取付にて現場詰め。セバ電業。小若家族送迎の間に、番頭は遠方のレンガ工場に視察。先生はその間に、廃材整理。電線、瓦礫、ビニールなども分別。プロシード売却で遠方の業者と折衝。25万円。安過ぎる。昼前バト事務所。昼食しじみラーメン。午睡の後、バトと特殊建築物報告書の研究。プロシードの廃材荷卸し。14時半近場の業者は来訪でやはり○○万円。16時過ぎ番頭帰宅。夕食、しゃけ、みやげのあなご重。メゾン19時50分。管理会社4人。20時半解散。24時過ぎまで小母、番頭と夜更かし。就寝。




11y邸 巨石と基礎工事
しっかり転圧の地業
2011年土曜日晴れ。
8時半新アルト11y邸現場着。基礎工事2日目は、シゥーとジドの2人。引き続き掘り方。昨日バトの修正した基礎図面に赤ペンで更に修正を加えてシゥーに渡す。折り返しメゾンへ。10時前着、余裕時間で基礎図面修正を納屋組の皆様名義でお願い。臨時理事会は賠償保険対象の事情聞き取り会。糸のからみあった複雑な問題を解きほぐしながら12時閉会。メゾン在住のソムさんのお世話で年末は楽しく盛り上がります。納屋組に戻り昼食後昼寝。就寝中、番頭が電話応対している様子が意識の彼方から聞こえているが何とも反応できない。電話終わると同時に意識が覚める。今何の電話?現場から11y様です。先生からは特に何も報告ないので今日はお帰りになってもかまわないと・・。いやっ、ちょっと待って。相談事あったんで電話する。

先生:「11y様ですか・・、実は現場に大きな石が掘り返されたので、どこに持っていくかを・・・中のほうに置いてある石ですが、、、」
11y様:「いやいや、
外のほうにどでかい石が出てますよ!」
先生:「いやっ中にないですか?」
11y様:「中のは小さいですが、外のは全然大きいです。」
先生:「えーっ?新しいのが出てきたんですか?10時前に出たときは全然なかったですよ・・とにかくこれからすぐ行きますので。」
11y様:「はい、はぃ、私も出たところなんですぐ戻ります。」

(手前)発掘した巨大石
(奥)地盤改良
新アルト14時過ぎ現場着。見るからに大きな石でびっくり。11y様によれば、震災のときに石積みが崩れてやり変えたときの石の余りでは?もしかしたら最初の石積みで余った石を捨てるのめんどくさがって埋めたのでは?などなど予想。自然のものだからあまりどうこう言えないが、ここはしっかり使わないと。昨日の石は渡り廊下のくつ脱ぎ石。今日のはポーチの基礎石で行きましょうとなった。他は大きいほうから順次、900キロ荷重のキッチン柱、寝室の500キロ柱などの独立基礎とする。例えば900キロの荷重基礎は、3トン地耐力として、0.3平米あれば成り立つということだから、60センチ丸の石があればよくて、これは前からくつ脱ぎ石選漏れの石があるわけだ。これでポーチの布基礎も無くなったわけで、さらにシンプルな布基礎となっていく。仕事は速く、間違いなく、安くである。その分自然石の独立基礎やツカイシに多少の据え付け手間をかけられるというもの。
レンガ置き場確認
途中、煉瓦運搬のコニーが入場。煉瓦の置き場所など確認。15トン車2台に積んでコニーの中継所で6トン車に移し変えて運ぶそうである。11y様退場の後、くつ脱ぎ石、ストーブ石を所定の近くにセット。煉瓦置きスペースも確保してもらって、17時前帰路。夕刻ブログ。
11x邸 バト詰め、ゲボハウス泊。 オリ、クムはね出し1、押入れ枕棚1。タオ左官 8時~12時 帰路。電気屋3人(ニグ) 内部配線。瓦屋エイ2人午前 道路側下屋瓦修理。ゲボハウス紹介の外構屋ビノ来場。11x奥さまがこれで(パーフェクチンNo.12規定量 こて押え)お願いします。





10z邸 束建て
10z邸床ビス打ち原寸
2010年金曜日曇り。
7時40分10z邸着。瓦、一階床など。電気1、大工2、瓦3、塗装屋1。17時半退場、旅館泊。10y邸バト、残工事。
現場速報-(準備中)

10y邸 ストーブ煙突
2009年木曜日。





2008年水曜日晴れ。 
終日事務所。08ex邸 クム 建具柿渋。08z邸 バト法務局13時50分着 表示登記手続き 14時50分帰路。 09x邸 シゥー組 解体。