シーダ・バーンのブログへようこそ。
これから家を建てようと思う人に伝えたい建築家の日々の仕事ぶりを綴っています。
学生さん、社会人の方々にも参考になれば幸いです。
なお、当ブログでは、人物、場所、日時等が特定できるような表現を控えています。



音楽簿1966年2月26日号


































記念すべき第1号につづく待望のHITTABLE第2号である。
何となれば、2回目から曲の興亡盛衰がみられることになるので、変化の楽しみである。
当時ラジオ番組や音楽雑誌ではトップ20程度の紹介が多かったが、
ビルボードはとにかく100位まであることがわかっていた。
それだけ熾烈な競争の場だったことだろう。

私は50位までしか整理できないと観念したが、20位よりはダントツ。
勇躍の№1「私の愛」はbillboardでは2月5日からの№1だから3週間遅れのトップである。
しかしペトゥラ・クラークも日本では人気なかったなぁ。
とびきりの「ダウンタウン」ほどではない曲だが。

赤字での表記は、赤丸急上昇に倣ったもの。
急上昇グループRolling Stonesの「涙枯れても」は「イエスタディ」の対抗曲ではちょっと弱い。
初登場№1というのもある。14位のウイルマ・ゴイクの曲は原語記名のこだわりで書いたため、
邦題はなんていう曲だったか?メロディも・・?ようやく思い出した。
イントロからすぐサビのわかりやすいウキウキする曲だった。
この頃は英語圏だけでなくイタリアのカンツォーネやフランスのシャンソンも活きがよかった。